パナマ市の様子
2012年、パナマ市に住んでいた頃のエピソードと、パナマ市内の歴史地区について紹介します。
2012年当時のパナマ市内の交通状況は、深刻でした。朝夕のラッシュ時のメイン道路は、全く、身動きができないほど。運転手は、大変な技量が必要だと思ったものです。又、すぐ近くに目的地が見えているのに、渋滞で、かなりの時間を要しました。
ここでの車の運転はアグレッシブでないと、やっていけません。ちょっとした事でも、警笛がンガンです。どの車も、前へ前へ出ようとします。譲り合いの精神”え〜そんなものは、糞くらえ”のようでした。
パナマ市は、太平洋側に位置しています。私の勤務地は、カリブ海側 (大西洋側)のコロンという町で、毎日、会社の手配してくれた車で、通勤していました。幸いな事に運転手付きでした。(青いアイコンをクリックすると、簡単な説明があります。)
パナマから、コロンまでは、高速道路があり、80km〜100km 順調にいけば、1時間半ほど行けますが、特に、パナマ市内の通勤時間帯は、交通渋滞があり、3〜4時間かかる事もあり、コロンへは、時間に余裕をもってでかけましょう。
私は、毎日、太平洋側から、大西洋側に大陸を車で横断していた事になります。私の同僚の何人かも、パナマ市内に住んで、コロンまで車で通勤していました。この道路は、世界一短い、大陸横断道路です。
そのころ町には、市民から、「赤い悪魔」と呼ばれる、交通マナーの超良くないバスも走っていました。そのバスは、翌年から、廃止になったと聞いています。週末の夜には、派手な装飾のディスコバスがガンガン音をたてて、ゆっくり市内を走ってました。バスの中は、若者たちが、歌って踊って大騒ぎです。やっぱり、パナマは、ラテンの国です。
週末の夜のディスコバスと、パナマ市内観光バス、町の主な場所へ行き、イヤホーンで英語で町を説明してくれます。切符を買えば、どこで降りても、何回でも乗れるので、手っ取りばやく、市内観光ができます。
建設ラッシュで、地下鉄工事やビルの工事、歩行者用の信号も少なく、道路を横切るのは命がけでした。道路には、穴ぼこがあり、歩道も歩きにくかったです。
私の住んでいたアパート13階からみた風景、海のずっと向こうはパナマ運河の入口です。パナマ市内の海は、生活汚水で、とっても泳げる状態ではないですよ。アパートの大家さんの話だと、数十年前は泳げたとか。町の発展と人口の増加に、インフラが追い付いていないようです。右の写真の中央に、ねじってたような変わった形のビルがあります。おもしろい町ですね。
現在は、地下鉄も完成し、町の様子も変わったと思います。町は、生き物のように、年月によって、ドンドン様変わりします。
30〜60階建てのアパートやホテルが多く、遠くから眺めると、素晴らしい景観です。しかし、歩きにくいので、ちょっと、遠くへ行く時は、車やタクシーが必要です。
私が妻と住んでいたビルは、確か、38階建てだったと思います。市の中心にあり、買い物など、便利が良かったですね。地図の青印 (クリックして下さい。) の場所で、グランドベイタワーと言って、他にも日本人が2 〜3人住んでいたと思います。下の現在の地図を見ると、ショッピングモールが近くにできて、更に便利になったようです。
海岸の大通りを横切ると、海岸に沿って長い良く整備された散歩道があり、早起きして、良く妻と散歩したものです。散歩している常連と顔見知りになり、挨拶を交わしながら、楽しく歩いた記憶があります。朝、暗い時でも、警察がガードしているので、ここは安全です。
海岸沿いの通り、シンタ コステラの陸橋からの朝の景色 夜明けの散歩道
殆どのアパートのビルには、管理人やガードマンいて、24時間体制で、管理しています。又、プールやパーティイのできる、共有スペースのあるアパートが多かったです。家賃は、この辺り、市の中心で、当時の相場で、20〜30万、2LDK 2つのトイレ、シャワールーム、リビングなで、全体的には、かなり広い、180m2はあったと思います。今は、アパートの賃貸料もっと高騰している気がします。
地図が示すように、近くには、日本人学校もあり、日本人が多く住んでいました。当時、パナマに住んでいた日本人は、で約300人、日本人学校の生徒は、僅か、12〜13人でした。 ここにも、入り口にガードマンがいて、厳重に警戒していました。
日本人学校の学芸会 パナマ市の美容院、料金は日本と大差なっかたと思います。
銀行も多くありますが、警戒がかなり厳重です。小銃をもったガードマンが立っていて、入る前に持ち物検査をします。バックの中まで検査します。銀行内では、携帯電話やパソコンは、使うなとか、帽子を取れとか、注意されます。
ホテルは、有名なホテルも多くありますが、隣にカジノのあるホテルが多く、小銃ももった警察が警戒してます。パナマは、軍隊がなく、警察が国の警備を兼ねています。
食品は、日本人がいるため、中国人の経営しているマーケットで、ある程度の日本食が入手できます。値段は、ちょっと高めですが。しかし、他の店に比べると、そこのレジ係は計算は早いし、態度も親切です。
一部のマーケットでは、レジに並ぶのが、嫌になる事がありました。、「何故、私のレジに並ぶの」と睨まれるてるような感じ、計算は遅いし、お客を待たせても平気、電話をしたり、他の人とおしゃべりをしてる、態度も悪い。いつもムカついたものです。
2012年10月、カリブ海側の都市コロン、そこのフリーゾーン国有地売却に反対するストライキがありました。ストが暴徒化したため、道路は封鎖され、オフィスは一週間閉鎖されました。
ストの混乱の中、店に押し入り、冷蔵庫やテレビを担いで、逃げていく人の姿が、テレビで放映されていました。私のアパートの管理人は「あれは、パナマ人の恥だ」と言って嘆いていましたが、ストがあったら、どこにも出かけないで、じっとしているに限ります。
発砲騒ぎがあり、犠牲者がでた報じる新聞と、アパートの部屋から見た、暴動前のストの行列。
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